慈愛という回路が搭載されていない
・別に嫌いじゃないんだけどさ
猫は好きだろうか。犬でもいい。或いは人間の子供。
嫌いなどと言えば人でなし扱いされるものトップ3だと言っても過言ではない。別に私は嫌いではない、しかし世間の人々並みに可愛いとも思えない。
有り体に言えば興味が持てない。可愛いでしょ~?などと言われてもわからないとしか言いようがなく、可愛いという感情を何となくエミュレートして話を合わせたり合わせなかったりしている。
インターネットの動物画像なんかは別で、正直言って少し苛々する。ただ存在している、それだけの理由であんなにも愛されて拡散していくのは狡いと思ってしまう。
まあ別に被写体の動物やら赤子やらに責任があるわけではないし、苛立つのは寧ろそういう画像を愛でる人たちに対してなのだが、袈裟が憎いせいで坊主まで憎くなってしまう(この使い方は適当なのか?)。
大衆の感情が可視化されるこのインターネットという場において動物画像や赤子の行動に対する"アンチ"の少なさは際立っている、様に思う。
5chの生き物苦手板くらいではないだろうか、見たことないけど。虐待したいというほど動物に対して強い感情がある訳ではないが、彼らの気持ちもわからないではない。*1
...話が逸れた。とにかく私は犬や猫や子供に対して可愛いとは思うことはほとんどない、少なくともそうした属性に対して可愛いという感情を起こさせるスイッチが搭載されていないらしく、そうしたスイッチを生まれつき持っている人が羨ましい。そういうスイッチが搭載されていることを前提としている社会が薄っすらと憎い。ここは元から楽しい地獄だ。
・可愛いという感情に関する考察
一応ここで少しだけ可愛いという語を腑分けしておこう。ここで辞書を引くのも(エセ)インテリ仕草っぽいのでそういうことはしないしそう決めた以上何らかの文献にあたるのも癪なのでしていないのだが、無い脳味噌から「可愛い」が使われる文脈を並べて少し考えてみることにした。
対象は人間だったり動物だったり、洋服だったり音楽だったりするのだが、共通する属性としては
小さい/弱い/繊細/優しい/美しい/しなやか/無害
等があるだろうか。
ぶっちゃけ"女性的"*2*3と言われる性質とかなり被っている、と思う。ここでフェミニズム回路がぐるぐる回転する人も多いと思うがエクスキューズする気は特に無い。
問題はそうした属性(≒「女性的」という語で総称される性質)を持つ対象に対して抱く感情がいかなるものであるかであって、これは
・慈愛
・劣情
・賛美/憧れ
あたりが主なのではないか。
性欲というスイッチは僕も持っている*4。美しいと感じたものを善いものだと思う気持ちもあるし、可愛くなりたいという感情も容易く理解できる。
慈愛の心だけがなんだかうまく発生しない。赤子に対して人権を保証しなきゃいけないなあという義務感は発生するし、人間でなくてもまああんまり生命を無碍にすべきではないという倫理観もなくはない。
小さいもの、弱いものがそのために不利益を被っているとして、そのマイナスをゼロにしてあげたいという気持ちはわかる。要は可哀想だから助けてやりたい、ということだ。しかしそれは決して「可愛い」と思ったからではない、と思う。
弱者が弱者なりに気を張って気にせずに生きていこうとするのも、或いはその弱みを武器として媚を売ることで利益を得ようというのもよい。いずれも弱者の戦いであり、美しい。
優しい飼い主のもとですくすくと育った毛並みの良い子猫のカメラ目線の笑顔に関心は持てないけれど、汚い野良猫が蹲っているのは美しいな、と思う。*5
天然の、無邪気な、それでいてそこにいるだけで周囲に対して媚を売っているような存在が受け付けないのだと思う。それらは戦うこと無く愛情やその他プラスのものを受け取っており、そのことが許せない。可愛い猫や犬や子供が存在する一方で、沢山の可愛くない猫や犬や子供が存在するという不公平があり、可愛い存在にも可愛い存在を持て囃す人々にもせめてこの不公平に自覚的であって欲しい、という願望が強く自分の中にある。
・それなりに切実な問題として
私が「子供が可愛いと思えない、だからまともな父親になれる気がしないので結婚したくない」と言うと、母は自分も未だに他人の子供は可愛いと思えないけど自分の子供はなんだかんだ言って可愛いから大丈夫だ、と言う。
しかし実際に痛ましい児童虐待が起きているということは、子供が生まれたけれど可愛くもなんともないという人々は存在するのだろう。実際に子供を虐待するかどうかにかかわらず、子供を可愛いと思えない親というのは幸せなものではないだろう。そう考えると、自分のように慈愛回路がセットされていない人間にとって子供を持つということはかなりのギャンブルなのではないか。しかもその賭けに失敗したとき、その代償は子供にも降りかかる。
今の所私は結婚したいとも子供が欲しいとも思えないのだが、帰省するたび早く結婚しろ子供を持てと言われる私にとってこの慈愛回路問題はそれなりに現実的な問題なのである。
いたいけな子供や猫の画像に関するツイートが拡散され、そのツリーに多くのリプライがぶら下がっていくたびに、一人の芋虫が自らの不具を嘆くのだ。
*1:
似たような理由で選挙も嫌いです。様々な意見が飛び交うこの言論空間において、選挙に行くことだけ右も左も絶対に正しいことかのように扱うのが気に食わない。
そりゃマクロ的に見れば一人ひとりが国政への参加意識を持って選挙に行くべきだ、それが民主主義だってのはわかるんだけど、僕個人の視点から見れば自分が選挙に行こうが行くまいが変わらないじゃないかと思ってしまうんですよね。
とにかく、この雑駁としたインターネットの上で、男も女も賢者も馬鹿も老人も若者も口を揃えて持て囃すようなものが大体嫌いです。わかる人もいるだろうし、わからない人もいるだろうと思います。わかるようでわからない人も。
*2:鍵括弧だと両手をチョキの形にして指をちょんちょんしている人間へのダメ日本人特有の何とも言えない感情を表現できませんよね
*3:ロリやショタを導入すると随所にバグが起きそうだなあと思ったので本文では書かなかったのですが、一部の小児性愛者は小児に対してセックスに由来する性質から解き放たれた人格を望んでいるのかもしれないと思っています。そうした場合「可愛い」という語を使うのかどうかはわかりませんが
*4:この点に関しても多少拗らせがあるので、そのうちそれについても書くことがあるかもしれない
*5:結局リンダリンダのアレみたいな話になってしまった。僕の今の一押しVtuberであるところの卯月コウが「ブルーハーツを歌ってるのは陽キャだけどブルーハーツの歌詞を噛み締めてるのは陰キャ」と言ってて、こいつ本当にわかってんなと思った